Page 42 - 《近代史研究》2022年第五期
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2022 年第 5 期


                               利用有利汇率大量转销山东。             ①  此外,山东进口量较大的纸、杂货、火柴及其原料、木材、机器部件
                               等,也都以日本为主要来源。            ②
                                   从出口贸易看,日本“交还”胶州湾后,对山东煤炭、棉花、盐、桐材等工业原料,花生及其副产

                               品、鸡蛋、牛肉、牛皮、烟草、麸皮等农产品,需求(含转手买卖)依然巨大,吸引众多日商从事输出。                                        ③
                               此外,青岛日资纱厂产品在 1923 年以后对外输出越来越多 ,1928 年甚至占了输出货物首位 ,这
                                                                                   ④
                                                                                                                  ⑤
                               也强化了日本在山东出口贸易中的地位。 相比之下,美英从山东出口货物种类数量远不及日本,总
                               体数量也相差很远。
                                   第三,日本侵入山东金融业之深为美英所不能及。 这是日本在山东远胜于美英的经济扩张所

                               导致的,并从它们在山东所设金融机构的数量与规模上反映出来。
                                   关于金融机构,日据胶州湾期间,青岛既有日本横滨正金银行、朝鲜银行的支行,又有龙口、日
                               升、正隆银行的支行和青岛银行、青岛交易所等,而英、美仅各有汇丰与花旗银行的分支 ;济南有
                                                                                                              ⑥
                                                                 ⑦
                               正金银行、朝鲜银行的支行及济南银行 ,另有中美合办的中华懋业银行分行。                                   ⑧  其后 9 年间的变
                               化是:日本于 1923 年 5 月在青岛增设济南银行支行 ,1925 年 12 月关闭了朝鲜银行济南支行 ,将
                                                                                                                  0
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                               龙口银行合并于正隆银行 ;英国 1926 年 11 月在青岛开设渣打银行分支 ;美国在青岛的银行最
                                                                                                 ○ 1 2
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                               迟在 1929 年关闭 ,同年停办在济南的银行。                 ○ 1 4  此外,芝罘一直有汇丰银行分支而无日本的银
                               行。  ○ 1 5  显然,在这个时期,日本在山东的金融机构,总体上数量仍远多于英美。 再就规模而论,英美
                               的银行主要围绕贸易从事对欧美、上海汇兑,“营业机构规模极小……较之于这些银行在上海的优
                               势,真是微微” ;但正金银行青岛支店却充当“内外金融机构中心”,既与对山东贸易和诸多工商
                                            ○ 1 6
                               企业经营互为支撑,又“收受关税、盐税及胶济铁路的收入” ,同时与朝鲜银行支行等联结。 故日
                                                                                    ○
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                               方称:“在此地金融界,日本势力确乎绝大,终非英国银行可比。”                           8
                                   还须看到,在山东的日、英、美银行中,唯有日方持续非法发行纸币。 据山东当局 1920 年调查:
                                  ①  「青島対日貿易促進策」、『日刊海外商報』第 199 号、1925 年 7 月 21 日、11 頁。 「青島貿易年报(昭和二年)」、『週刊海外
                               経済事情』第 2 年第 12 号、1929 年 6 月 10 日、6 頁。
                                  ②  「済南貨物集散概況(最近四年間)」、『日刊海外商报』第 464 号、1926 年 4 月 26 日、128 頁。
                                  ③  『山東政策ニ関スル意見上申ノ件』,外務省外交史料館蔵、B07080136500。 「山東に於ける邦人の経済勢力」、『山東の
                               実情を貴族院議員諸賢に愬ふ』、6—7 頁。
                                  ④  「青島貿易年報(大正十三年)」、『日刊海外商報』第 353 号、1925 年 12 月 27 日、7、13 頁。 「在青島邦人経営紡績工場及
                               其製品」、『週刊海外経済事情』第 3 年第 18 号、1930 年 5 月 5 日、20—21 頁。
                                  ⑤  「青島港外国貿易年報(昭和三年)」、『週刊海外経済事情』第 3 年第 33 号、1930 年 8 月 18 日、29 頁。
                                  ⑥  『在青島銀行会社一覧表』之“銀行”部、外務省外交史料館蔵、B10074161600。
                                  ⑦  「済南及坊子ニ於ケル金融業」、『在支本邦人企業並貿易調査報告ノ件』、外務省外交史料館蔵、B11090767200。
                                  ⑧  满铁社长室调查课『支那に於ける米国の企業』、大連、小林又七支店、1922 年、114 頁。
                                  ⑨  『銀行支店設置認可報告ノ件』、外務省外交史料館蔵、B10074173600。
                                  1  「済南経済事情(其四)」、『週刊海外経済事情』第 3 年第 27 号、1930 年 7 月 7 日、41 頁。
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                                  1  『関東長官官房秘書課長田中直通発内閣拓殖局庶務課長高橋周三宛』 (1926 年 3 月 12 日)、 国立公文書館蔵、
                               A04018255600。
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                                  2  「山東地方に於ける英国の経済発展」、『週刊海外経済事情』第 4 年第 13 号、1931 年 3 月 30 日、9 頁。
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                                  3  『米国ノ対支経済発展(二)』、外務省外交史料館蔵、B10070536300。
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                                  ○  「山東経済事情」、『週刊海外経済事情』昭和 9 年第 29 号、1934 年 7 月 21 日、124—125 頁。 「 済南経済事情( 其四)」、
                               『週刊海外経済事情』第 3 年第 27 号、1930 年 7 月 7 日、41 頁。
                                  5  『英国ノ対支経済発展ニ関スル件』、外務省外交史料館蔵、B08060434900。
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                                  ○  「山東地方に於ける英国の経済発展」、『週刊海外経済事情』第 4 年第 13 号、10 頁。
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                                  ○  「山東経済事情」、『週刊海外経済事情』昭和 9 年第 29 号、1934 年 7 月 21 日、119 頁。
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                                  1  「山東地方に於ける英国の経済発展」、『週刊海外経済事情』第 4 年第 13 号、1931 年 3 月 30 日、10 頁。
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